■演劇部公演を見続けて10余年の「例のアレ」による覚書。おぼえがき、って読んでね。


大冒険←ここ好き

 新年あけましておめでとうございます。今年も日大二中・二高演劇部の応援、よろしくお願いいたします。

 さて、1月20日に再演も決まったThe adventure of URARA the baloon girl.
〜Save princess KURUMI from BLACK-STONE the great!!〜
-Hey, KANEKO, I know the big mommy is you-ですが(なんで英語なんだ)管理人イチオシのここ好きポイントを書く。絞って一個だけ書いてしまう。
 コーナーがある割に更新がないからかと云われるとゲフンゲフン。説明が不十分な分は、実際に会場にお越しの上ご確認ください。

うらら
「えー、何かごめんなさい。」

 実際のセリフは「えーなんかごめんなさぁー↑い」なんだけど、「もしかしてうららだって賢いのかもしれない」かとおもっていた観客は「あ、こいつはやばいやつや」と確信する。そんな一言。

アポ
 透明になってから窺える高い身体能力。

 いぶし銀のバイプレイヤーとして活躍するアポですが、バイプレイヤーたりうるのも驚異的な身体能力があってこそ。

もゆゆ
「馬刺し美味しかったね?」

 これ、聞こえる人には聞こえる屈指のボーナストラック。ぜひぜひ舞台上手あたりをご注意ください。

お母さん
「旅の途中で、この人たちが死んだり、使い物にならなくてぶちギレそうな時に(後略)」

 いいお母さんかと思いきや淡々と、かつまたえらい存在感。

胡桃姫
 三回分の「お姉様」。

 台本準拠だと「…お姉様?」「お姉様?」「お姉様あああー!」なんだけど。これをちゃんと面白い呼吸で出してくるの、すごいよなぁ。

カネコ姫
 フレームをかぶった後の腕の辺のライン。

 パブリックにおける「お姫様」と本当の悪としての「お姉様」の差がわかるラインです。

ブラックストーン大王
「お前ら、見張りを怠るな!」

 ここがかっこいい。大王が大王になってくれてよかったと思います。

千鶴子伯母さん
「明日になったら必ずお前を呪い殺す!」

 梶原の喉元に杖を突きつけるの、非常に魔女の狂気感があります。

ほっしー
「もう本当に何というか素晴らしいの一言に尽きるのですが(後略)」

 役者としての(5年間の)スキルが圧縮されてるのはここだよな。な。

茶太郎
「やいコラ、コッカコーラ!」

 あの、コカコーラではなく「コッカコーラ」だからいいんです。アレ。程よくおっさん。総じておっさん。役者は乙女。

梶原
「ボーカルの梶原です」

 ここの出来如何で今日の梶原の調子もわかろーというものです。「私という名の大トロ」も脂のノリがが違います。

いろいろ
 カネコ姫にフレームを奪われたときの「あぁん」。

 「いろいろ」の貴重な可愛らしいシーンベスト2からひとつ。ふたつしかねえのかよ!

ハタケ王子
 登場時、一連のダンスから締めのふるえ。

 王子はダンスも喋りもすげーと思いますが、たまーに垣間見える狂気のほうが個人的にはポイントが高いです。あれ、ほとんど本人のアドリブから生まれたもの。

ピッカリ
「誰?誰かおるん?」

 「誰かおるん?」かわいい。警戒しているというよりも、急に音がしてびっくりしているだけのあたりが。

マッコリ
 ケラケラ笑いながら倒れるとこ。

 あの倒れかたは演出だったんですかね、アドリブだったんですかね。わりとこうディズニーとか赤塚不二夫とか鴨川つばめとか、そういう黄金期のかおりがします。

鍋蓋
 実況中継後、死体に戻るときの身体の捌き。

 鍋蓋といえば「蘇ったー!」かもしれませんが、ちゃんとギャグの間をしてる。あれはセンスある。

 以上。えー、ここなん? と驚かせるリピーター(および役者本人)もおられるかと思うのですが、観客などそんなものです。どこを観ているかなんぞわかりません。
 再度繰り返します。気になったらご来場のほど。1月20日、日本大学第二学園創立90周年記念ホールです。
 なお、中学部「雨、恋の季節」も同時上演です。オンラインでの評判は「うらら」一色ですが、雨恋も宇田川作品内ではかなりのスマッシュヒットだと思っています。お楽しみにどーぞ。

2018.01.04 ながしろ拝


合同公演、盛況でした

 新ホールこと90周年記念ホールのこけら落としも兼ねた第5回合同公演、盛況のうちに終了いたしました。
 なにしろ出来たばっかりのホールですので、舞台を制作する側も悪戦苦闘、試行錯誤している様子が観客席からも窺えたのではないかと思います。去年の「chain mail of the hell」よりも構成はシンプルでしたが、その分曲数多め、ライブ感高めの良いステージだったのではないかと思います。  またこのステージを新しい環境として、いろいろな作品が生み出されていくのでしょう。

 そういえば、前回の記事であったラジオ、お聞きいただけましたでしょうか。
 聴けなかったという方、こちらの公式ブログで聴けるようになっておるようですので、興味の向きは、ぜひぜひ。
 なお、本人は聴き返していません。
 だからこそ、こういけしゃあしゃあとお知らせできるのかもしれません。

 今頃、高校2年生は春合宿。
 一年の経つのは早いものです。

2016.03.24 ながしろ拝


ラジオに出ます

 『高校演劇のつくりかた』に関連して、女優の南谷朝子さんのFM番組に出していただきました。南谷さんのウェブサイトをあたしが作ったような縁がありますです。ハイ。

 30分の番組です。だいたい以下の様子で放送されるので、お時間と環境と興味のある方は聞いてやってくださいまし。

中央FM うら!のーとみなみずむ【公式ブログ

2月19日(金)13:00〜13:30(本放送)
2月20日(土)21:00〜21:30(再放送)

・東京都中央区の方はFMラジオで、そうでない方はPCやスマホなどでサイマルラジオを経由して聴取することが出来ます。

・なお、放送のトーク部分だけは公式ブログにてしばらく聴取が出来ますが、音楽の部分は権利の都合上カットされてしまいます。

・本放送では、今回の『高校演劇のつくりかた』で取り上げた舞台「地獄の鎖帷子」の主題歌であるテツヤムクン「砂遊び」がフルで流れます。

・ながしろの喋りはどうでもいいけどテツヤムクンは大好き! という方は本放送をお聞きください。


 といった感じです。短い時間ではありますが、何卒、何卒。

2016.02.06 ながしろ拝


「高校演劇のつくりかた」が出来ました

 

 トップページの下の方にしれっと特設ページを作りましたが、本日付で『高校演劇のつくりかた―日本大学第二高校の場合―』が発売となりました。

 なんかこう、普段陽の当たらないところで仕事をしているので、こういうふうに自分の名前の本が出るというのは何回やっても緊張します。

 なんらか思うところを書こうと思ったのですが、ひとえに「高校演劇」というニッチな世界のことを、本を手にとった人がどれだけ「読んでて意味がわかるか」ということに非常に腐心しました。演劇なのだから、仕掛けも筋書きも状況説明もみんなしなきゃいけないので、そこをどう混線せずに文章に残すか。その辺に死に物狂いでした。

  これで面白くなかったらどうしようかなぁ。少なくとも部分的には面白い部分もあると思うんだけどなぁ。売れてほしいなぁ。本質的には「お金の問題じゃない」のかもしれないけど、本質でない全体の97%はお金だからなぁ。

 そういう意味でビクビクです。演劇部の部員のみんなやご家族の方もそれなりに気にされていることと思います。二中二高演劇部ファンの皆さんも読んでくれると嬉しいですが、面白くなかったらどうしようなぁ。
 緊張で吐きそうです。

 なお、面白くなるようには頑張りましたが、誇張したり、面白くなるために嘘をついたりということは一切していないつもりです。普段のツイッターの芸風なんかを見ているとものすごく嘘八百ですが、できるだけ観察と描写に努めました。チェックを入れてくだすった上の人も存外鷹揚で、提出した記事は全部通りました。太っ腹なものです。
 なお、一点だけ書いたものの、宇田川先生と相談の上、掲載を自主規制したネタがあります。まぁ、そんなものです。関わったすべての人がみんな親身になってくれる幸せな仕事だったと思います。

  あ、最後に。
 そうとう奥ゆかしい感じの数を刷りましたので、おおむね早い者勝ちです。お求めはお早めにどうぞ。

(2015.12.18 ながしろ記ス)


 「地獄の鎖帷子」とはなんでしたっけか

 「地獄の鎖帷子」についてなにか書け、ということである。が、なにしろ筆者、この劇を稽古や合宿含め、一年間見続けてしまったのである。取材の様子は「高校演劇のつくりかた」というタイトルで今年(2015年)中に発売される手筈となっている。
 そこまでしてしまって、今さら何をか云わんという心境なのであるが、じゃあ、だったらみっちり見たら見たで書けることがあるのではないかと思い直した。よって、本稿は『高校演劇のつくりかた―日本大学第二高校の場合―』のあとがきという体で書き進めていく。書籍本文は九分九厘完成していることだし、ほんとうの意味での「あとがき」となる。

「地獄の鎖帷子」。喜劇である。各種の大会に出す作品としては、ほんとうに久々の喜劇である。当然、最終的には「震災から三年経って、みんな忘れていませんか」というオチには違いない。が、振り返ってみればそのメッセージさえも、演劇を作る上でのスパイス以上ではないような気がする。ただ、スパイスは効かないと意味が無いから、舞台上の役者たちが稽古の間、どれだけ真剣に震災のことを想起したかも筆者は知っている。
 ただ、語られるべきは宇田川作品が、大会の場において「笑い」を全面に押し出してきた点だ。今まで、「殺生石」「耳栓」「さよならセーラー服と白塗り」と、今眼の前にある現実に、舞台公演中のほんの数十分でも、観客を向き合わせようとする演劇がずっと続いたのだ。きっと当時の部員たちは、毎回毎回の稽古に厭が応でも諸々の執念や憎悪に直面してきたことだろう。
 一方「地獄の鎖帷子」の稽古は楽しかった。ひたすら呑気で、能天気で(宇田川先生は『脳天気』と書いているが)ゆるい空気が漂った。さもなくば「実は震災のことがバックボーンにある」という仕掛けがバレてしまうからだ。このあたりの方針転換の事情については「つくり方」本文にしっかり掲載してあるが、本稿では別のアプローチ、可能性を提示してみたい。

 端的に言えば、「真のハゲはハゲ呼ばわりできない」ということである。ちょっとした薄毛、生え際の後退、年々目に見えて伐採される密林地帯。これらを称して人は「あれはハゲなんじゃないか」と囁き合うことはできる。が、砂漠になってしまえばハゲも薄毛もない。サハラ砂漠も数千年前はしっとりしていたらしいし。
 つまり、重厚なテーマを重厚に語るときと云うのは「まだ余裕がある」のだ。それは起こる可能性のある未来への危惧から語り口調が脅しめいたものになるし、結局は自分の持っている不安を誰かと共有したい、みたいな。ただそれって、誤解を恐れずに言えば、まだモノに対する現実感が薄いからまだ「怖がって」いられる。
 日本は、日本人は、えーと、日本に住む人はここんところ数々の痛い目を見てきた。お盆にも演劇部で舞台に上がってるような年代の子がずいぶんと酷い目にあった。でも、それでも、我々は我々の日常を続けていかねばならない。日々支払うものを支払い、貰えるものは貰い、精神を正常に保って生きていく必要がある。

 「地獄の鎖帷子」で宇田川戯曲が踏み込んだ地点って、おそらくは「非常事態と日常は並列して動くよ」というところにリアルを見出したところなんだと思う。

 この原稿、2015年8月25日、城西地区大会の「ジュ・テームとエリ・ザベートは地獄で哭く」を観に行く直前で書いている。「ジュ・テーム」、これはまた今まで話したようなことの延長線で宇田川戯曲の流れが続いているのだけれども、その話はまた、稿をあらためて。
 「ジュ・テーム」前に原稿を書き上げられてよかった。本当によかった。

(2015.08.25 例のアレ記ス)


 2014.04.11「新人教師・あら汁先生」 / 04.26「熟練教師・あら汁先生」

 「新人教師・あら汁先生」は2月自主公演のために用意された演劇である。ところが、インフルエンザの影響で2月公演が延期となり、年度が変わって4月の公演となる。二週間後には新入生歓迎公演、後編の「熟練教師・あら汁先生」である。

 劇部における2月自主公演の立ち位置というと、4月に入った新入部員の実質的なデビュー戦であり、可能な限りの役者が舞台に立つ、ということになっておる。パンフレットを見て数えると「新人教師〜」「熟練教師」ともに28人いる。これに顧問である宇田川も「学校長」として加わる。
 タイトル通り、新任の保険体育教師である嵐山知子・通称あら汁先生が生徒や学校に振り回されるのが前編、20年後に生徒の起こした凶行の責任をとって職を辞すのが後編となっている。

 まとめながら書いていくと、とりあえず登場人物を多さに驚かされる。が、この28人を脚本上で捌くのはお手のものだ。そこには「路傍の石」役も「森の木」役もいない。ただ、細かい部品が組み込まれた演劇という装置が機能しておる。もちろん、全員が全員とも話の本筋に関わってくるわけではないが、それでも、役者にとっては手の抜けない脚本である。手を抜くと、シーンが、舞台が機能しなくなるのだ。

 そもそも、学校というものがもともとそういうものですわな、なんの因果か同じクラスに集まってきた面々、同じ職員室に集まってきた面々が織り成す空間をリアルと呼ぶならば、宇田川はその辺りの「空間」を本当にうまく作り上げる。必要に迫られてであっても(笑)作り上げる。がゆえに、今回がデビュー作である中学2年生はもうちっと稽古がいる。2月公演、毎度のことではあるが部分的に「要稽古」というのが明確になる。

 不足が判るということは、初舞台でもちゃんと必要な役目を任されているということでもである。まだまだこれから。(2014.05.23 例のアレ)


 2014.04.26 「エブリディ・ホワイトバレンタインデー」

 どのくらいの堅さで書けばいいかわからない。怒られたら調整しよう。

 毎回毎回、春季大会用の脚本は制限時間が30分以内と決まっているのですが、宇田川脚本の場合はここ数年、卒業する原則的に引退する3年生だけを出演させる、というルールというか、縛りがあるようです。んで、用意される脚本には「こういう関係でいろよ」っていう顧問からのメッセージが込められている――というわけで、4月の新入生歓迎公演とともに行われる3年生引退公演はどんな人間関係が描かれるのかなぁ、という期待があって観る部分があります。

 それで、今回はどうだったかというと、すごく演劇人でした。
 演劇人、という云い方が「何をもって演劇人というのか」ということになるとややこしいので言い換えますが、演劇を、芸事を仕事にして生きていきそうなメンバーだったなぁと思ったのです。くれぐれも「仕事」っていうのは「それで食っていく」というのとは別の意味合いです。仕事とは「人の役に立つこと」で、赤ん坊だって仕事をしておる。赤ん坊がニコニコしていればお父さんお母さんの苦労が吹っ飛ぶ。これも立派な「仕事」です。芸能というツールを使って人の役に立ちそうな面子だと思います。だからこそ、終幕後に宇田川先生にサプライズが用意できるし、五所川原先生の物まねもできるし、Twitterも面白……げふんげふん。なんでもないっす。忘れてください。
 去年の3年生による引退公演における宇田川先生との関わり方とも違う。去年は宇田さん、「天狗」やった。部員に無理難題を仕向ける役回り。でも今年は「男子生徒A」だった。ここ、すごく大きな差だと思います。先生というよりも、みんなで渡韓までした「戦友」だったんじゃないかしらん。春季大会の脚本に顧問が登場するのって記憶のうちでは去年に引き続き2回目ですが、世代ごとにおける顧問の立ち位置みたいなのもこれから判るようになるかもしれない。
 ともあれ「演劇の力で人の役に立とう、演劇の仕事を信じよう」みたいな意志の強い世代だったんじゃないかなぁ、と思いました。
 この中から二高劇部3人目(弊社把握)のプロの俳優が出るかもしれないなぁ、と期待しつつ、みなさんお疲れ様でした。

 で、最後になんだけれども、これ、春季大会で演る時にゃ宇田川パートはどうやってるんだろう。顧問が舞台に上がっていいんだろうか。 (2014.04.28 例のアレ)


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